アトリエを後にして、今度は海辺へ向かいます。大自然の造形美で知られる景勝地、太海(ふとみ)。この絶景を前に建つのが、明治時代から100年以上続く老舗旅館「江澤館」です。多くの画家たちがここで絵筆を取り、歴史に残る大作を生み出しました。水村さんも部屋から見える漁村を描いています。

目の前の海には名勝の仁右衛門島が浮かぶ。
「ただ美しいっていうだけで描くのは、俺は好きじゃない。ここから見えた風景に生活感があったから、描いたんだ」
眼下に広がる、のどかな漁村の風景。そこに確かな温もりと息づかいがあることを、水村さんの絵が気づかせてくれます。

創業100年を超える「江澤館」。久しぶりの来訪を女将さんが温かく迎えてくれた。
「漁村にて」
1980年代後半に旅館の部屋から描いた。
瓦屋根が続く日本の原風景。

同じ部屋から見た風景。路地や電信柱などはそのままで、当時のおもかげが残っていた。
旅館の中には、江澤館に足跡を残した画家の作品が並びます。そうそうたる面々の中に、もちろん水村さんの小品も。
窓の外に広がる秋の海を眺めながら、水村さんは早くも来期、2015年春からの「水村喜一郎美術館」の展示について語ります。取材時は、今年の春から始まった第二期の終了間際。長野県東御市にある美術館との往復で多忙な日々を送る今、思うこととは……。

部屋や廊下にはギャラリースペースがあり、画家たちの作品が展示されている。
展示されている水村さんの作品の一部。荒々しい波太海岸の造形と、ユーモラスなイカの泳ぎ姿。
「10代、20代の頃の絵を常設展示にしようかなと思っているんだ」
もともとは、思いのたけをぶつけていた青春時代の絵を見ていたいから、という理由でつくった美術館。しかしそれらは企画によって入れ替える一室に展示していたため、常設ではありませんでした。これからはいつでも見られるスペースでの展示を考えている、と熱く語る水村さん。
「裸婦」
高校時代、美大を目指す学生らの予備校・美術研究所に通っていた頃の作品。
「肌の温かみ、腕の感じ、後ろとの関係なんかがうまく描けたことで安心して、乳首は最後に黒の絵の具で点々と描いた。大人になって見ると、絵としてとても重要なところなのに画竜点睛を欠いていた(笑)。でも少年だったからね」
「次から次へと作品ができていく中で、マンネリにはなりたくない。だから、初心忘るべからず、絶えず少年の頃の絵を見ておきたい。枯れたものを描いても、絵描きは枯れちゃいけないんだよ」
夕暮れに染まりゆく太海(ふとみ)漁港を歩き、美術館のこれからを語る。
まだまだ自分を壊す。それが、描くということ。生きるということ。
青春時代と変わらぬ情熱を心に抱いて、水村さんの旅は続きます。