アトリエに着くと、庭の片隅で綿毛をつけた野あざみが、秋風に揺れながら出迎えてくれました。「ここは俺が描きたいってものばかり植えてあるんだよ」と言いながら、入口へ案内してくれた水村さん。

庭では野あざみなどの花が咲き、木々が生い茂る。

「足の踏み場もない」というアトリエの前で。
「ここから先は、絵描きにとって聖域だからね。誰も入れないんだ」
残念ながら、水村さんが作品と対峙しているその空間に入ることはできませんでしたが、
「中にはこういうものがゴロゴロしてるんだよ」
と見せてくださったのが、ドライフラワーのように乾燥したみかんとおくら。なんと20年以上前のものだと言います。
「なんでこんなものって思われるだろうけど、俺は枯れた花だって捨てない。枯れていくところが美しいんだよ。いぶし銀になったり、照りが出てきたりして、存在感が際立ってくる。それを描きたいんだ」

からからに乾燥したみかんとおくら。他にもざくろなど、さまざまな「枯れた植物」がアトリエにあるという。
「枯れみかん」
水村さんが「みかんのミイラ」と笑いながら見せてくれた枯れみかんは、こんなにも深く豊かな表情の作品に。
「枯れおくら」
さやが弾けて枯れていったおくらも、水村さんによって新たな命を吹き込まれた。
水村さんが描くと、枯れている実もひとつの命の姿なのだと思い知らされます。そしてもうひとつの絵は、枯れたひまわり。この花は、すでに残っていないそうです。
「だいぶ前に、家族がドライフラワーのひまわりを買ってきたんだ。これはなかなかいいと思ってアトリエに持っていって描き始めたけど、ドライフラワーは描いたことがないからうまくいかない。途中でやめて、他の絵を描く。その間にもずっとひまわりを見ている。
それは “目になじむ”って言葉がいいんだけど、長く見てると愛着がわいてくるんだよね。それでときどき描き進めてたんだけど、あるとき風に吹かれて、ぽろぽろっと花が落ちてきちゃった。さすがにこれはもうダメだ、早く描かなきゃと思って仕上げたよ。それが15年目くらいだったね」
「枯れひまわり」
ドライフラワーのひまわりは、真夏に咲き誇る姿とはまったく異なる存在感。
今は絵の中に命を宿したひまわり。太陽のように華やかな姿とはまったく違うその表情に、思わず引き込まれます。