画家のアトリエ ~インタビュー、ニュースから画家の素顔をご紹介~

  • 青春の激しさと、人生の温もり

    Vol.1 まもなく個展開催! 今見つめるもの、思うこと

    Vol.2 協会展開催! そして美術館の第2期、スタート

    Vol.3 画家としての原点へ。生まれ育った下町を歩く

    Vol.4 心がある。友がいる。あの頃のままの少年たち

    Vol.5 海辺の町、山里のアトリエ。鴨川で出会った風景とは
  • グループ展に向けて

    生きるよろこび 牧野文幸

青春の激しさと、人生の温もり

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親友が待つお気に入りの店へ


夕暮れが近づく頃、いよいよ水村さんの生家があった一角へと向かいます。永井荷風の小説『濹東綺譚(ぼくとうきだん)』の舞台にもなった、旧玉の井のあたり。曲がりくねった細い路地、往時をしのばせる家々、軒先に並べられた鉢植え……。
下町の匂いが漂う路地。建物は変わっても区画はそのままの場所が多い。

「家があったところまで行くのは15年ぶり、いや20年ぶりかな」
と言いながらも、水村さんの足取りに迷いはありません。
「そりゃそうだよ。さんざん走り回って、どの道を抜けたらどこに出るかなんて知り尽くしてるから」

「あ、このへんを描いたことがあるな。ほら、そのままの家が残ってる」
足を止めた場所で、絵と見比べます。電信柱はなくなっているものの、確かに同じ場所。新しいアパートやマンションが増えてはいますが、当時をしのばせる場所はまだまだ残っているようです。

そして、その間の小さな空地の前で足を止めた水村さんは、まるで家族と出会ったかのように目を細めました。いくつもの秘密の抜け道と、密集する家々の間にそっと抱かれていた、長屋の名残り。水村さんの生家があった場所です。
「4軒の家がつながった『ハモニカ長屋』だったんだよ。6畳と2畳とお勝手に、家族5人で暮らしてた」

まだ残る建物と路地を頼りに、かつて描いた懐かしい風景を探す。

「路地へ」
多くの作品に描かれている旧玉の井。日々の営み、夕げの匂いまで伝わってくるような風景画。

ここに水村さんの生家があった。とび職の親方だった父と、いつも朗らかだった母。子どもの頃の喜び、悲しみ、悔しさ……さまざまな想いがつまっている場所。「ここに来ると初心に帰れる。俺の原点だから」
草が生えた空き地に、今は誰の手も入っていない様子。家がもうないのは寂しいですね……と話しかけると、「いや、そんなことはない」と水村さん。
「ここには原点があり、心があり、友がいるから。家がなくても、寂しくはないよ」

友がいる──。確かに、この周辺を歩いていると数人のお友達が「おっ、久しぶり」と水村さんに声をかけてきました。少年の頃に戻ったかのように言葉を交わしあう姿からは、寂しさはみじんも感じられません。


ところで、ここで疑問が。少年時代の話を聞くほどにこの地を愛してやまないことが伝わってくる水村さんですが、一方で、画家としてのその後につながる、つまり「絵を描いた」という思い出はまだほとんど語られていません。外で友達と大暴れしていた腕白な少年は、一体いつ絵を描いていたのか?
「ニワトリの親子」
小学校に上がる前からすでに絵を描いていた。これは小学校1年のとき、クレヨンで描いた作品。
「建物」
小学校4年生のときの作品。絵筆を持つようになり、ますます絵にのめり込んでいった。

「物心ついたときから絵を描いていたけど、内緒だった。お坊ちゃんみたいな趣味でカッコ悪いと思ってたし、友達に言えなかったんだよ」

意外な言葉に、照れ屋だった一面が垣間見えます。この後は、そんな少年時代を知る友達が待つ店へ。故郷での懐かしいひとときはまだまだ続きます。
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次回は、少年時代からの友人が登場! 当時の思い出や、画家としての活動をサポートし続ける現在について話を聞いていきます。
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