美術館へ戻ります。油彩画の海野宿はこれから描かれるということですが、実はここに、趣あふれる小品があります。「竹紙(ちくし)」という、筍の皮で漉(す)いた和紙に描かれた海野宿です。墨と顔彩で描かれた日本画には、温かな味わいの筆文字も。
水村さんが竹紙と出会ったのは、25年ほど前のこと。京都に住むエッセイストの岡部伊都子さんより最初にいただいたといいます。今は故人となった水上勉さんが漉いていた竹紙に「一目ぼれ」。繊維が残ってゴツゴツと厚みがあり、1枚1枚異なるその質感と語り合うように、100点以上の小品を描いてきました。
その一部に出会えるのが、実は美術館に併設されている小さなカフェ。窓の向こうには千曲川が流れ、アカシアの木が揺れています。そして壁では小花や木の実、野菜、魚など身近なものを描いた竹紙絵が並んで迎えてくれる、ほっと安らぐ空間です。
「旧道に沿って」海野宿
すべて異なる竹紙の風合いと相談しながら筆を動かす。
「美術館にはお茶を飲む場所が必要」と、水村さんがこだわったカフェ。おいしいコーヒーと竹紙絵、風景が楽しめる。
美術館の場所を、千曲川のほとりのこの地に決めたのは、2005年に長野県梅野記念絵画館で個展を開催したことがきっかけ。当時、館長を務めていた梅野隆さんが熱心に個人美術館の開設を勧め、また、学生時代にすべて暗唱できるほど好きだったという島崎藤村の「千曲川旅情の歌」の地であることも決め手となりました。
残念ながら、梅野さんは開設を見ることなく他界。しかし、多くの人と出会い、ともに生きてきたこれまでの道のりの証しとして、「水村喜一郎美術館」は今日も水村さんの激しい情熱と、人生を慈しむ心を抱いて、訪れる人を迎えます。
初めて口で描いた作品「花」。「大人っぽい色使いでしょう。 俺、ませてたんだよね(笑)」。
膨大な作品から展示する絵を選ぶ日々。「休館中は時間がいっぱいあると思ったら、実はやることが多くて大変なことがわかったよ」と苦笑い。
これは、水村さん9歳のときの作品。高圧電線に触れて両腕を失った後に初めて描いた水彩画です。
絵が大好きだった少年は、口にくわえた筆で何の苦もなくすぐに絵を描けたと言います。それはどれほど大きな喜びだったことか。
「よかったあ、なんてもんじゃないよ! こう、目の前がね…」
遠くの光を見つめるように、水村さんの表情が輝きます。
「パーッと明るく開けた感じだった。よーく覚えている。鳥肌が立ったよ」
4月1日からの個展、そして12日からのグループ展の頃には、美術館の前の桜並木が春の訪れを告げているはず。水村さんの描く風景の中へ、ぜひあなたもお出かけください。
次回は4月12日のオープニングパーティーをリポートします。お楽しみに!