画家のアトリエ ~インタビュー、ニュースから画家の素顔をご紹介~

生きるよろこび 牧野文幸

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障がい画家として歩むキッカケとなったもの

「静物」
ウィスキーボトルと貝を描いた処女作。3カ月がかりで描いた。

「花」
花のカレンダー用に描いた作品。花を描いた数点の内の夏バージョン。

「ねこ」
描くことに慣れてきたころ、好んで題材にしたペット達。

「花火(レインボーブリッジ)」
癖のない綺麗な絵。多くの方に好まれ様々なグッズに採用された。

高校に復学し、卒業という目標を達成した後、何かやらねばと思うものの、その何かが見つからずにいたとき、理学療法士の先生から「油絵をはじめてみないか、その気があるなら先生を紹介する」と声をかけられたことが、牧野さんにとって将来、口で描く画家として歩むキッカケになりました。先生に毎週一回家に来てもらい、絵を習いました。牧野さんは高校の時は、美術ではなく書道を選択していましたので油絵は描いたことがありませんでした。小・中学校は水彩画しか習ったことがありませんでした。初めて油絵を描いてみた時、その感触にたいへん興味を持ちました。いままでは紙に描いていたものが、キャンバス、つまり布に描くということになったことが一番おもしろく感じたそうです。そしてもう一つ、油絵の具のねばねばした、ねっとりとした感触、これが非常におもしろく感じたようです。ねっとりとした絵の具をザラザラのキャンバスに描くため、力のない口でくわえた筆では思うように絵の具がキャンバスに付かず、最初は一筆塗るだけでもたいへん苦労をしていました。しかし、筆をぐっと押したときにキャンバスから跳ね返ってくる感触とかにおおいに興味を持ち、夢中で絵の制作に没頭しました。リハビリの時は高校へ復学するという具体的な大きな目標があったように、この絵画の学習を続けていく内に、もっと絵がうまく描けるようになり、その絵をたくさんの人に観てもらい、その絵を通して社会に参加したいという目標がはっきり見えてきました。

そして、絵の学習を重ねていく内、大変ラッキーな出来事がありました。それは牧野さんより先に口で描く絵を習っていた生徒で、口と足で描く芸術家協会に所属して絵を描いている古小路浩典さんに出会ったことでした。古小路さんが見せてくれたその協会のポスターを見ると、これは「どこかで見た覚えがある」と思ったそうです。牧野さんが小・中学校の時に、学校にそのポスターが貼ってあって、絵ハガキとか便箋とかを牧野さんも買ったことがあったことを思い出しました。元気な時は、「本当に口とか足でこんなん描けるのかな?」と思って見ていた絵描きさん達の協会だったことが判明しました。その後、古小路さんの紹介で口と足で描く芸術家協会に入会しました。
長い時間をかけて初めての絵を描き終えた時、牧野さんはキャンバスの上に新たな喜びと生きがいを見出し、これこそが牧野さんが従来考えていた「描くことによる社会への参加」の具体的な形だと思いました。「描くこと」は、彼にとって「死んでいないだけ」の日々を「生きている」と実感できるものへと一気に引き上げ、「生きること」の意味と価値を与えてくれるものとなったのです。

はじめ、個展の開催には気後れするところもあった