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HEARTありがとう

浦田 愛子    神奈川県   足で描く

1945年12月神奈川県生まれ。

生後1歳で先天性脳性マヒと診断される。両腕、体幹機能がマヒしている。

6歳の頃から両親に教わり、足で絵や文字を書き始める。幼い頃から絵が好きで、18歳頃から通信教育や個人レッスンでイラスト、レタリング、水彩画や俳画を勉強した。

29歳からは国画会の画家の指導する洋画研究所に通い油彩画を学ぶ。

多くの展覧会に入選し、透明感のある作品はいずれも高い評価を受けている。

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私の想い

◎ 私にとっての絵

一言で言えば、私がこの世に存在する証し。絵を描くことが好きで、絵を描くことが楽しい私には、それは天命だと思う。

 

◎ 協会について

絵を描き、勉強するための経済的な支えや、身体的に必要な医療に関る助けを得ていることはもちろんのこと、絵を展示して絵を評価してもらう場を与えてもらい感謝しております。日本各地や海外で絵を展示、あるいは絵を色々な作品に使ってもらったりして、私の絵が社会的に人々に知られ、役にたつことは私としても大変に嬉しいことです。今後も協会の存続を願っております。

 

◎私たちの絵画作品と社会の人々との交流

障がい者の展示会に作品を飾った場合に、一般の人々から「明るい綺麗な絵ね!見ていると心が癒やされる。よく細かい線が描けている!感動する!」との評価を戴くと、私は(私たちは)大変に嬉しく思います。皆様に喜ばれる、楽しんでもらえる、感動してもらえる、それらを願いそれらを期待して、そして誇りを持って日々絵を描いておりますから。

ともすれば障がい者の描く絵は暗く寂しい絵と思われがちですが、それは違います。障がい者でも気持ちを明るく前向きに持っていれば絵も明るく綺麗な、また楽しい可愛い絵が描けるのです。

その為には、絵の技術を基本から習い腕を磨き絵のレベルアップを常に行わないといけないし、身体のリハビリにも励まないといけません。毎日の努力が必要です。 ある意味でスポーツ選手と同じだと思います。会場を訪れるギャラリーの皆様を一枚の絵で楽しませ、和ませ、感動させられることで交流出来ることが私の(私たちの)幸せです。

その他

◎ 絵によせて

絵は写真ではないと振り返ってみて思う。

幼い頃に無心で描いていた花やお姫様や女の子たち。端から見れば何を描いているやらピカソもどきである。が、本人の目には鮮やかに花が咲き綺麗なドレスのお姫様や可愛い女の子が見えている。楽しいミラクルの世界。楽しいから毎日毎日、飽きもせずに描き続ける。やがて時期が来てミラクルが解けると、わけのわからない絵ではなくてまともな絵を描きたくなる。

中学高校の図工科目で写生画等をやり現実に見えているものを描くのを覚えると少しはまともな絵になる。そしてもっと上手になりたいと思い塾や専門研究所に入る。

そこでは円形や四角形や三角形の物体を見て描き、物は光りと影から成り立っている事や遠近法等を学び、キャンパス上に写実的な絵が描けるようになる。

 

目で見た物がキャンパスにまるで実物のように描ける楽しさ喜びは大きい。いかに花を人形を風景を忠実に描写するかを日々ひたすらに研究を重ねていく。

そのうち絵には、写実派、印象派、抽象派の画家の絵を観たりして絵には様々なジャンルがあるのを知る。

ある画家から、「その絵を一度壊してごらん」と言われた時は驚いた。せっかく描いた絵を壊す?そんな恐ろしい事を!

その手法とは写実的に描いた絵の上にいろんな色を置いていく。たとえば、顔の肌色をバックに、服にと少しずつ塗り、バックの色も、顔に服にと少しずつ塗り混ぜてゆく。早く言えばキャンパス全体をいろんな色でブレンドしてゆくのだ。始めは何が何だかわからない。近くで見るといろんな色がごちゃごちゃに塗り混ぜてあるだけ。しかし少し遠くから見ると見事に絵全体の色が調和していた。風景にしても木々の緑の中に空の水色を少し入れる。と、木々の間に空気が感じられた。またしてもミラクルの世界の発見!

これが印象派的な絵という描き方なのだと知った。

私はこのように様々な絵を描いてきて現在に至るが、絵とは写真では味わえない楽しいミラクルな世界を与えてくれる不思議なものだと思うのである。

 

<略歴追記>

30歳で公募展に初入選。その後も数多くの個展を開催し、多くの展覧会に入選している。

特に民話「夕鶴」の世界を描いた三部作「つう」は、二科会神奈川支部展で特別賞を受ける。

さらに、2000年「鶴の恩返し」、2001年「ラメール幻想」、2002年「夢想花」と、二科会上野展に入選している。

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