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HEARTありがとう

安達 巌    大阪府   口で描いた

1939年10月大阪府生まれ。

小学校4年生の春、雀の子を捕るために変電所の鉄塔に登って感電し、両腕を失った。しかし、逆境にめげず天涯孤独で青年期を生き抜いた。

12歳の時に初めて口に筆をとり、自然と絵を描き始めていた。ハンディキャップを背負いながら、様々な職業を転々としたが、一生続けられる仕事に就きたいという強い思いから、本格的に絵画に取り組む。多くの展覧会に出品し、これが協会の目に留まり、画家への道が開かれた。

かやぶき屋根の田舎家等、細かな描写は見るものを感嘆させる。2006年9月没。


画像をクリックすると拡大してみることができます。

描く喜び

10歳の時の感電事故で両手の使えない私が、世の中で働ける場所はありませんでした。一生、安心して一人で生きていくために、何か自分にできることを模索し、日々努力して見付けたのが、口で絵を描くことでした。

今では、春夏秋冬の絵のモチーフを求めて、精力的に国内外へとスケッチに出かけています。自分の求めていたモチーフを見付けては、はやる気持ちを抑えて、それをキャンバスに描き、表現し、四季折々の風景や静物を毎日休むことなく描いています。

私の描いた作品を目に留めていただく多くの皆さまが、ほんの少しでも心和ませ、幸せな気分になり、喜んでくださるならば、私自身も最高に幸せです。

現在では孫たちも増え、家族が9人になり、健康に恵まれ、笑い多いにぎやかな生活を送っています。

また、年に一度、地域の子供たち約300人の絵の審査をしています。2006年で27回目を迎えますが、子供たちの色彩豊かな感性と観察力、表現力には毎回驚かされ、私にとりましても良い刺激となり、子供たちに教えるよりも、教えられることの方が多くなってきました。小さい頃から絵を描く喜びを知り、人生に真摯に立ち向かう精神を培ってもらいたいと願っています。

さらに、世の中の若い方たちが立ち往生し、生きていく道が見付からない時など「生きる道は一つだけじゃないよ、いくつもあるよ!」と教え、やる気と根性を持って精一杯楽しく人生を送っていただきたいと願っています。

私もまだまだ大きな夢と希望を持って努力し、作品制作に励んで参ります。

 

上記は、安達巌が亡くなる直前、2006年7月に書いた文章です。

 

<略歴追記>

1964年 25歳の時に、東京オリンピック第2部パラリンピックにおいて、水泳で金、100m競争、立ち幅跳びで銅メダルを獲得

1996年 インターナショナルハンディキャップアーティスト、クリスマス絵画展世界第1位

その他 国内外の公募展に多数入選、受賞

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